2009年2月2日月曜日

ゲバラの生涯を4時間超で映画化した「チェ」鑑賞記  青山貞一


 エルネスト・チェ・ゲバラの生涯と活動を描いた新作映画、「チェ/28歳の革命」と「チェ/39歳 別れの手紙」を見た。 もともとこれら2つの映画は一本の映画「Che(チェ)」として作られており、それを劇場用として2本に分けたようだ。


 「チェ」の前編、すなわち「チェ/28歳の革命」は、2009年1月26日に東京都港区六本木ヒルズの映画館、「チェ」の後編、すなわち「チェ/39歳 別れの手紙」は、1月31日に東京都練馬区豊島園の映画館で鑑賞した。映画館入場料はいずれも1800円なので、「Che(チェ)」を見るためには3600円が必要となった。


 六本木ヒルズの「チェ/28歳の革命」は、そこそこ客が入っていた。が、「チェ/39歳 別れの手紙」は封切り当日にもかかわらず、約20名とパラパラの入りだ。ちょっぴり寂しさを感じた。


 映画だが、全編を通じていえるのは、きわめてドキュメント・タッチが強く、演出がほとんどないことである。淡々と事実が映像として流れる。この手法は前編でも後編でも同じだ。


 「チェ/28歳の革命」ではゲバラの国連演説など実際に撮影されたモノクロ映像と映画で新たに撮影し映像とを多面的に織りまぜ多用していた。映画で制作された部分、とくにモノクロ部分は敢えてドキュメント映像用に画質を調整していると思えるほど違和感なく溶け込んでいた。


 主演でチェを演じたベニチオ・デル・トロ(Benicio del Tro)がゲバラそっくりの姿、形、それにトロの名演が重なり、本当にどこからどこまでが当時の映像で、どこからが映画のための映像なのかが分からないほどだった。




自らプロデューサーも務めたプエルトリコ出身の俳優、デル・トロは、アルゼンチン出身のチェ・ゲバラを演じるにあたって、スペイン語の難しい訛りにも挑戦した。また退任前のキューバのカストロ議長と対面し、生前のゲバラについて入念にインタビューしたという。俳優魂に徹している。それもあり、完璧なゲバラ像を構築している。


 デル・トロは、ビートルズの一員、かのジョン・レノンに「世界一格好いい男」と絶賛されたゲバラを演ずるに最適の俳優であった。  以下は、第61回カンヌ国際映画祭で『CHE』(原題)でベニチオ・デル・トロが最優秀男優賞受賞を受賞したときの記事。


第61回カンヌ国際映画祭『CHE』(原題)ベニチオ・デル・トロが最優秀男優賞受賞!


 フランス時間2008年5月25日(日) 第61回カンヌ国際映画祭の授賞式がおこなわれ、キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラの半生を描いたスティーブン・ソダーバーグ監督の超大作『CHE』(原題)で、主人公ゲバラを演じたベニチオ・デル・トロが最優秀男優賞を受賞した!


 本作『CHE』(原題)はフランス時間2008年5月21日(水)にコンペティション部門で公式上映され、2,300人の超満員の観客から約6分間のスタンディングオベーションを受けるなど、大変高い評価を受けた。


 革命の国として知られ、チェ・ゲバラを英雄視するフランス国民からも支持されたデル・トロの演技は、体重を25Kgも減量した熱のこもりようで文句なし、審査員全員一致での最優秀男優賞受賞となった。
 ショーン・ペンから「ベニチオ・デル・トロ」の声が上がると、会場内の拍手が鳴り止まず、途中、中断させられ、ようやく止まったほどだった。審査員は全員、スタンディングオベーションで迎え入れた。審査委員長のショーン・ペンいわく、「数少ない、審査員全員一致での受賞だった」とのことだった。


【ベニチオ・デル・トロ 受賞のコメント】
(登壇後、感極まって言葉が出ず、しばらく沈黙した後)
 ワイルド・バンチ(制作会社)とフランスのワーナー・ブラザースにまず、感謝の意を表したい。
 この映画を実現させるという僕の長年の夢をかなえてくれた。そして何より私はこの賞をチェ・ゲバラに捧げたい。そして、ソダーバーグとこの喜びを分かち合いたい。本作の撮影は非常にハードなものだったが、自分は俳優という仕事に専念することができた。それは、ソダーバーグ監督が全て支えてくれたからだ。

■チェ/28歳の革命


 前編の「28歳の革命」では、エルネスト・チェ・ゲバラが亡命先のメキシコでフィデル・カストロ(のちのキューバ最高議長)と運命的な出会いを果たし、28歳の若さでカストロとともにキューバ革命に着手し、1959年1月1日、革命を成し遂げるまでを描いている。


 この映画をみるひとは、できるだけあらかじめキューバ革命の経過を知っておく必要があると思う。
 1956年11月25日、カストロをリーダーとした反乱軍総勢82名は8人乗りのグランマ号に乗り込みキューバに向かうが、嵐の中での出航でもあり、キューバ上陸時には体力を消耗し、士気も低下していたとされる。


 映画ではメキシコのベラクルスからキューバ島に向かう船からはじまる。上陸後、シエラ・マエストラ山脈に潜伏し、山中の村などを転々としながら軍の立て直しを図る。その後キューバ国内の反政府勢力との合流、反乱軍は増強されていくさまをつぶさに描いている。


 当初、ゲバラの部隊での役割は軍医であったが、革命軍の政治放送をするラジオ局を設立するなど、政府軍との戦闘の中でその忍耐強さと誠実さ、状況を分析する冷静な判断力、人の気持ちをつかむ才を遺憾なく発揮し、次第に反乱軍のリーダーのひとりとして認められるようになっていった。


 1958年12月29日、ゲバラは軍を率いてキューバ第2の都市サンタ・クララに突入。多数の市民の加勢もあり、これを制圧、首都ハバナへの勝利の道筋を開いた。そして1959年1月1日午前2時10分、将軍フルヘンシオ・バティスタがドミニカ共和国へ亡命、1月8日カストロがハバナに入城、「キューバ革命」が達成された。


 ゲバラは闘争中の功績と献身的な働きによりキューバの市民権を与えられ、キューバ新政府の閣僚となるに至った。


 映画では工業相となったゲバラが、国連で米国帝国主義を公然と非難する演説を行う様子が延々と流れる。この演説は、YouTubeにもアップロードされているものだが、残念ながらYouTube判はゲバラの肉声が聞かれるものの、当然のこととしてすべてスペイン語であり、その内容はポツン、ポツンしか分からなかった。


 映画でも国連演説の映像と音声が使われていたが、映画では当然のこととして日本語訳がスーパーインポーズされ、ゲバラの発言内容が一字一句流れた。その内容は、まさに感動ものであった。ゲバラは米国の帝国主義とともにキューバを経済封鎖する米国を徹底的に糾弾する。


 国連演説に関連し、当時米国の傀儡政権の巣窟だった南米諸国の大統領や閣僚が次々にキューバの革命政権を中傷、非難したあと、ゲバラが演壇に立ち、それら米国の手先となっている傀儡政権の言い分を論破する。これも前編の大きな見所である。


■チェ/39歳 別れの手紙


 次に後編のチェ/39歳 別れの手紙は、表題となっている別れの手紙をカストロがキューバ国民に読み上げるところから始まる。何で突然、ゲバラがキューバからいなくなったかについて、国民に説明するためだ。


 ゲバラはカストロとの会談の末、新たな革命の場として、かつてボリビア革命が起きたものの、その後はレネ・バリエントスが軍事独裁政権を敷いているボリビアを選ぶ。


 南米大陸の中心部にあって大陸革命の拠点になるとみなしたボリビアを選び、1966年11月、ウルグアイ人ビジネスマンに変装して現地に渡る。この変装もなかなか見応えがある。チェはOAS(米州機構、英語でOrganization of American States、スペイン語でOrganizacion de los Estados Americanos)の関係者に扮してボリビアのパスポートコントロールを通る。チェックは受けるものの、簡単に通過し、ボリビアに入る。


 ゲバラのゲリラ戦術は、キューバでの実戦経験に裏付けられて完成されたもので少人数のゲリラで山岳に潜伏し、つねに前衛、本隊、後衛とわけて組織的に警戒し、必要があれば少人数で奇襲的な襲撃を仕掛けるというものだった。


 ゲバラはボリビア民族解放軍(ELN)を設立して山岳地帯でゲリラ戦を展開する。


 だが、ラモス(現地でのゲバラの名前)は独自の革命理論に固執したこと、親ソ的なマリオ・モンヘ率いるボリビア共産党からの協力が得られず、さらにカストロからの援助も滞ったため次第に疲弊してゆく。


 折からボリビア革命によって土地を手に入れた農民は新たな革命には興味を持たず、さらに元ナチスドイツ親衛隊のクラウス・バルビーを顧問としたボリビア政府軍が、冷戦下において反共軍事政権を支持していたアメリカのCIAから武器の供与と兵士の訓練を受けてゲリラ対策を練ったため、ここでも苦戦を強いられる事となる。


 映画では延々と、リビアの山中と川を行き来するゲリラ部隊の映像が流れる。食糧が尽き、山岳地帯の農民の家で金を払い食糧を調達するが、それらは同時に、ゲリラ部隊の消息をボリビア政府軍に通報させるきっかけを与えるものとなった。


 1967年10月8日、ゲバラは20名足らずのゲリラ部隊とともに行動、ボリビア・アンデスのチューロ渓谷の戦闘で、政府軍のレンジャー大隊の襲撃を受け、捕えられる。部隊の指揮を務めていたボリビア人とともに、渓谷から7キロ南にあるイゲラ村に連行され小学校に収容された。


 このイゲラ村を含め、後編に出てくるボリビアの山岳地帯の貧村は、おそらく現存する村をフィルムコミッションで使ったらしく、この映画、とくに後編のすべてをあらわしているように思えた。


イゲラ村

 ラ・イゲラ、La Higuera、スペイン語で「イチジクの木」の意は、ボリビアの小さな村。 サンタクルス県にあり、サンタクルス市から南西に150kmほど離れた場所にある。標高は1,950m。 2001年の国勢調査によると人口は119名でその多くがグアラニー族である。行政区分としてはプカラ (Pucara)郡に属する。


 その意味するところは、まさにボリビアでのゲバラらのゲリラ活動は、キューバと異なり、今風に言えば「キューバから来たテロリスト」という政府軍の情報操作、レッテル張りが功を奏し、村や村人には政府軍への通報こそあれ、支援、協力がなかったということである。


 後編では、まさにそれが映像のそそかしこに表現されていた。


 上記の小学校では、ゲバラに最後の食事与えた教諭のフリア先生が現在も元気でバイェ グランデで暮しており、バイェ グランデを訪問した大部分の記者が彼女にインタビューしているそうだ。


 翌朝、イゲラ村から60キロ北にあるバージェ・グランデからヘリコプターで現地に到着したCIAのフェリックス・ロドリゲスがイゲラ村で午前10時に電報「パピ600(ゲバラを殺せ)」の電文を受信。


 ゲバラの処刑は米国CIAのフェリックス・ロドリゲスと共に到着したボリビア国軍情報局のセンテーノ・アナヤ大佐の指示で行われた。大佐は顔や頭は撃たないように指示した。


 午後0時40分にベルナルディーノ・ワンカ軍曹(現在、報復を恐れ、ボリビアから離れて米国で暮らしている)にM1自動小銃で射殺された後、ゲバラは政府軍兵士のマリオ・テラン軍曹(30年近く基地内で暮らし、顔の整形手術を経て、ボリビア東部の農園で暮らしている)によってとどめの一発を食らい死亡した。


 殺害されたゲバラの死体は、CIAのロドリゲスらとともにヘリコプターでバイェ グランデ市のマルタ病院に運ばれる。映画にはないが病院の洗濯場で一般市民、報道関係者に公開された。この洗濯場は現存するが非常に粗末な施設である。


 ゲバラの遺体は、1967年10月10日まではマルタ病院の洗濯場にあり、その後、行方が30年間極秘にされていたとのこと。
.....
 映画ではヘリで遺体が運ばれるところで終わり、メキシコのベラクルスからカストロらとプレジャーボートでキューバに向かう途中の甲板にいる無言のチェ・ゲバラがラストシーンとして映し出される。


 以下は政府軍に殺害された跡のゲバラの写真(映画にはない)。

 
■ゲバラの喘息


 これは後編でとくに言えることだが、ゲバラはわずか2歳にして重度の喘息と診断されている。


 これが示すように、39歳の短い生涯を通じ、喘息がチェ・ゲバラの活動に暗く大きな影を落としている。
 ゲバラは幼少期から痙攣を伴う激しい喘息の発作で生命の危機に陥ること度々あったという。そのゲバラは重度な喘息患者でありながら、葉巻を放さない喫煙家であった。そこに大きな矛盾を感じるのは私だけではないだろう。


 医者でもあったゲバラは、この矛盾、すなわち何度も発作で死にかかっていながら葉巻を吸い続けたことがボリビアにおけるゲバラの永続革命にとって決定的なマイナスとなったことは否めない。


 実はこの論考を執筆している私(青山)も重度な喘息患者である。


 過去、何度も激しい喘息発作に見回れ、救急車で近くの昭和大学病院の救急センターに連れ込まれた。その意味で重度な喘息の怖さを十二分に体験、認識している。


 映画の前編ではゲリラ活動の多くがキューバではシエラ・マエストラ山脈の山中にあり、後編の舞台となったボリビアでは、さらに山深く急峻な山中にあった。しかもゲバラは機関銃など重い荷物や銃を所持しながら急峻な山中を動き回わっていた。ひとたび気管支喘息の激しい発作に見舞われると、身動きができなくなる。


 実際、「チェ/39歳 別れの手紙」ではボリビア・アンデスのチューロ渓谷での政府軍との戦闘では、何度も激しい喘息発作に見舞われ、仲間の救護を得るも、動きはままならず、政府軍に捉えられるさまが映し出されていた。


 後編のなかで、チェ・ゲバラ自身、ボリビアに喘息の薬をもってこなかったことが、自分の最大の廃嫡(はいちゃく)、失敗であったと述べている部分がある。まさに、その通りであったと思える。


■イゲラの聖エルネスト 


 1997年、死後30年にして遺骨がボリビアで発見された。遺骨は遺族らが居るキューバへ送られ「帰国」を迎える週間が設けられ、遺体を霊廟へ送る列には多くのキューバ国民が集まった。


 今日でもチェ・ゲバラは、中南米を始めとした第三世界で絶大な人気を誇るカリスマ、なかんづくボリビアではイゲラの聖エルネストと呼ばれる。


 イゲラはゲバラが政府軍に捉えられ、殺害されたあの村の名前である。


 そのボリビアだ、2006年、 ペルーのアレハンドロ・トレドに続いて南米大陸二人目のボリビアでは初の先住民出身となる大統領、エボ・モラレスが「社会主義運動」より就任した。


 現在、ボリビア民衆にとって、チェ・ゲバラは自分たちの守護神であると感じているだろう。 
 前編、後編の両方を見終わった跡の率直の感想として、後編こそがチェ・ゲバラそのものをあらわしているものとして大いに感銘を受けた。


 また、チェ・ゲバラになりきった男優、ベニチオ・デル・トロはすばらしい。


■腑抜けで「玉なし」の先進国の男達への警鐘!?


 今、まさに世界中の男性が腑抜けで玉なし状態となっているなか、彼は「世界一格好良い男」となったのである!


 もし今、チェ・ゲバラがこの世に生きていたら、極致に達した「格差社会」をどう思うか、アフガン、イラクを侵略し続ける米国やガザの市民を虐殺するイスラエルをどう思うか、映画館からの帰り道、ふと感じた。

2009年1月29日木曜日

支持率14%、地位にしがみつくだけの麻生ご臨終内閣 青山貞一

日本のある民間機関の調査によれば日本人のオバマ支持率は89%に達したそうだが、我が日本国の総理、麻生KY内閣の支持率は落ちるばかりだ。

 1月中の報道各社の調査結果は読売以外の支持率がすべて10%台となった。その読売新聞では逆に、麻生内閣の不支持率が最高の72.3%と出た。

 直近の調査であるフジサンケイ系のFNN調査では内閣支持率が何と、14.4%となった。かつての森内閣同様、醜態をさらしながらの一桁突入も時間の問題と言える。

 ところで2009年1月29日の日刊ゲンダイは、一面で次のように述べている。「無責任政党自民党、いよいよご臨終。死に体首相が施政方針演説とは笑わせる。支持率わずか15%にも満たない末期のくせに総理大臣ズラ。国民の批判憎悪は日を追って増えていると書いている」 

まさにその通りである。もはやご臨終。死に体内閣である! 

衆院選挙を経ずに二世、三世議員が総理をたらいまわしし、跋扈する日本政治を諸外国が相手にするわけがない。地上波のアホメディアは、隣国の後継者をどうのこうの言う前に、日本のお寒い実態を問え。 これほど精神的に貧しい先進国はない。自公はいい加減に国民の審判を仰げ!

2009年1月22日木曜日

イスラエルがガザ地区攻撃を突如止めた2つの訳  青山貞一

 イスラエル軍による激しい攻撃が続いていたガザ地区で、2009年1月19日、イスラエル政府が「一方的に停戦」に踏み切った。

 この間、ガザ地区でイスラエル軍により殺傷されたガザ地区に居住する人々は、推定で死者が1300人、うち子供が410人、女性が108人、負傷者が5320人、重傷者が500人にも及んでいる。

 イスラエル政府は突然一方的に停戦した理由を初期の目的、成果を上げたからなどと言明している。仮にハマスの攻撃能力や武器輸出力を低下させるために、世界各国が中止する中、白昼堂々と1300人ものひとびとが無差別に大量殺戮されたのは筆舌に尽くしがたい暴挙である。

 ところで、日本の大メディアは、イスラエルが突然「一方的に停戦した」、しかもイスラエル政府はその理由を初期の目的、成果を上げたなどと垂れ流しているが、イスラエルが停戦した本当の理由は何か? 

 イスラエルが今回のハマス攻撃を理由としたガザ地区攻撃を、かなり前から計画していたことはすでに多くの識者が指摘しているが、イスラエルがガザ地区を2008年末に急に攻撃開始し、2009年1月19日に止めたのは間違いなく次の二つの理由によっていると思える。

(1)オバマ政権担当1月20日 最初の理由は、イスラエル政府、イスラエル軍を徹底的に支援してきた米国のブッシュ政権が2009年1月20日に終演することと関係している。

 筆者は12月30日に書いた論考の中で、「永年、イスラエルの後ろ盾となってきたブッシュ政権が終焉する前に、イスラエルが今回の攻撃(侵略)をしかけてきた可能性が高い」と書いた。

 ◆青山貞一:ブッシュ政権末期のイスラエル侵略行為 

 まさにイスラエルはブッシュ政権が終焉する前に、ブッシュ政権が了承する中で最後の賭にでたのである。 案の定、ブッシュ政権は国連安保理事会などで、イスラエル停戦決議を安保理事会参加国で唯一棄権している。またライス国務長官は絶えずイスラエルの立場をを擁護する姿勢をとってきた。

 イスラエルは、2009年1月20日にオバマ新政権が誕生することを見越して、1月19日に一方的に停止したのである。(2)イスラエルの総選挙(2月10日)

 イスラエルがわざわざ停戦協定を破ってガザ地区に空爆を開始したもう一つの理由は、イスラエル内の「バラクとリブニの政争」であると考えられている。 国際政治の専門家田中宇氏によれば、イスラエルの国防大臣のバラクは好戦派で、労働党の党首であり外務大臣のリブニは戦争を抑止したい外交派であるカディマの党首である。

 ◆田中宇:ガザ・中東大戦争の瀬戸際

 イスラエルは2月10日に総選挙があるが、好戦派のバラクの労働党は劣勢だったが、ガザ地区攻撃によって、多くのリブニ支持者がバラク支持に回ったと指摘されている。

 結局、イスラエルの各種国際法に違反すると思えるガザ地区への無差別殺戮は、米国ブッシュ政権とイスラエル世界の2つの「ならず者国家」の密接に連携したものであることは明らかである。

 ブッシュ政権は最後の最後まで、世界の「ならず者国家」国家(政権)であったと言わざるを得ない。

2009年1月16日金曜日

支持率20%を割り込んだ麻生KY断末魔内閣   青山貞一

 ブレ続け、迷走に迷走を続ける麻生内閣の支持率が20%を割り込んだ。他方、不支持率は70%前後と上昇している。直近では安倍、福田とも20%を割り込んだところで退陣している。

 過去から、この種の伝統的な世論調査は、インターネットのWeb上のアンケート調査とまったく異なり、層化2段無作為抽出法(下図参照)など、統計学的にみて妥当な方法を用いて行われているので、時期が同じであれば結果にそれほど大きな違いはないはずだ。

 事実、1月上旬に行われた今回の内閣支持率の世論調査結果では、フジサンケイグループ、読売新聞、朝日新聞、共同通信、いずれもほぼ同じ傾向と結果となっている。FNN合同世論調査における内閣支持率・不支持率の推移朝日新聞・共同通信に見る麻生内閣の支持率・不支持率の推移 各社の世論調査で内閣を支持しない理由として最も多いのは、「政策に期待できない」というものだ。「読売」で36%、共同で29%と不支持理由の1位となっている。

 世論調査における麻生政権の不評な具体的施策として、公金を使った“選挙買収”と批判されている総額二兆円に及ぶ「定額給付金」がある。

 「支給をやめるべきだ」と答えた人が78%(「読売」)、70・5%(共同)、78%(JNN)にのぼり、反対が圧倒的多数となっている。この定額給付金は自治体などの事務経費が800億円とも1000億円ともなることが分かっており、実に不誠実、不見識な国民を愚弄するバラマキ策である。 しかも、この100年に一度の経済危機に、総理はじめ閣僚がもらうだ、もらわないと公衆の面前で人を馬鹿にした言動を繰り返していることが国民からいっそうの反感を買っていることは間違いない。

 さらに迷走する麻生首相が掲げる2011年度からの消費税引き上げについては、「評価する」が約3割なのに対し、「評価しない」が、59・1%(「読売」)、56%(「朝日」)と過半数を占めている。 自民党の細田博之幹事長は1月13日午前の記者会見で、世論調査で麻生内閣の支持率が10%台となったことに関連して「批判は批判として受け止めるが、今日あたりが底だ」と強調した。

 この種の政府幹部の強気の発言は、これまで幾度と繰り返されてきたが、その後の推移を見ると麻生政権も安倍、福田政権同様、奈落の底にまっしぐらとなっている。到底、「今日あたりが底」などとはなっていない。歴代内閣はいずれも支持率が10%台となったあとジ・エンドとなっている。

 もとより、何ら正当性も正統性もない小泉以降の安倍、福田、麻生のたらい回し政権は、いずれも二世、三世など世襲議員であり、あらゆる場面で人並みの苦労をせずに国会議員となったひとたちである。

 百年に一度という経済危機、国難にマトモに対応できるわけがない。麻生総理は「政局より政策」ともっともらしいことを言いながら、実際にしていることはすべて政局まがいで、終始解散逃れのことばかりであり、やることなすことがちぐはく。

 結果的に景気は大企業から中小零細企業まで悪化の一途をたどり、今年三月末の決算ではトヨタ1500億円、ソニー1000億円など赤字のオンパレードとなる見込み。昨年後半から顕著となった企業の倒産件数、とくに上場企業の倒産件数の歯止めがかからない。

 そもそも1ドルが100~110円をめどにして、輸出依存の加工貿易を国是、国策としてきた日本は、一旦、円高となればあっと言うまに利益がなくなる。トヨタやソニーが従業員を一気に大規模解雇したのはとんでもないことだが、トヨタが1円円高となるごとに400~500億円の赤字となるのは間違いない。すべてがすべて円安、輸出、安い人件費などをもとに企業活動を続けてきたからである。

 上場企業には100%輸出依存の企業もあるが、著名な製造業企業の多くが製品の70%以上を海外輸出に頼っているのが日本である。こうなると、金融危機と円高が同時並行で進む現下の経済状況下では、一気に企業の経営が悪化する。

 もちろん、直近の数年は超がつく好景気であった。税引き後の内部留保の余剰金の累積がトヨタが15兆円超、キャノンが3兆3000億円超など、なまじの小さな国の一般会計予算より大きな額がある。したがって、いきなり大規模な首切りをするのではなく、調整期間を設けるのがCSR、すなわち企業の社会的責任をまっとうすることであると思う。

 ちなみに、日本の大手製造業16社の内部留保(余剰金)の合計は33兆円に及ぶと言われている。日本の一般会計の国家予算が80兆円前後であるからその1/3以上に相当する額である。

 とはいえ、大から零細まで企業収益が一気に悪化すれば、今後の国、自治体の財政運営が今まで以上に困難になるだろう。住民税なども収入が増えず、解雇で満足な収入の道がない人々が増えれば、市町村財政はさらに悪化することは火を見るより明らかだ。まともな報道をしていない日本の大メディアも、スポンサーの景気が悪化すれば、さらにスポンサーの顔色を見ながら番組をつくることになる。

 毎日毎日、アホづらしてしたり顔で偉そうなことを言っている国会議員らをテレビで見るに付け、がまん強い日本国民も爆発寸前となっているのはいうまでもないことだ。よくぞ今まで忍耐していたものである。 そもそも国会議員、地方議員、国、自治体の行政はすべて国民、企業が納める税金を原資として食っている。 巨大上場企業が軒並み赤字となれば当然のこととして法人所得税が大きく目減りするからだ。プライマリーバランスもとれないばかりか、今後、一般会計そのものも過去以上に借金割合が増える。累積債務も増えることになるだろう。

 今後とも円高基調は継続するし、一旦下落した原油価格だが、いつなんどき上昇に転ずるか分からない。さらに、米国発の世界的な金融危機はたとえオバマ政権となったからと言って急速に改善するとは思えない。 とりわけ不況で倒産が顕著なのは不動産、建設分野だ。昨年、不動産や建設会社の倒産が相次いだ。しかし、今年もこの状況は一向に改善されることなく続きそうだ。

 1月9日には、ジャスダック上場の東新住建と東証1部のクリードが倒産。新年早々の出来事に衝撃が走っている。 いずれにせよ2008年の倒産が5年ぶりに1万5000件を超過し、上場企業の倒産は33件と戦後最多となった。今年はそれを上回る倒産が危ぶまれている。

 となると、不況克服には、まずは国民世論の空気も読めず、漢字も読めない麻生KY断末魔内閣の退陣以外なしということになる!

 麻生政権に限らず、自公政権はとっくに賞味期限だけでなく、消費期限が切れていて食べると危ない状態になっているはずだ。それが分からないのは当事者だけ、まさに裸の王様状態が続いている。 みんなで踏ん張れば怖くないという時期はとっくにすぎている。現状維持と既得権益にしがみつく世襲の国会議員を見るに付け、この国の政治が官僚同様いかに腐りきったものであるかがわかるのである。

 上述のように国民の大半が「そんなものいらない」「ムダ」だ言っている定額給付金にしがみつき、無駄な時間を浪費していることひとつをとっても、麻生総理は頭の回転が悪く、KYそのものである。

 こんな人物を支え続けている今の日本の自公政治では、日本の将来はない。滅びるだけだろう。いち早く、政権交代のない腐った国ニッポンから脱却することがこの国の蘇生、再生の第一歩である。

2009年1月8日木曜日

世界の知性は「テロ」の本質をどうみるか

◆N.チョムスキー(マサチューセッツ工科大学教授)

 米国、とりわけブッシュ政権の対外政策に痛烈な批判を浴びせ続けてきた世界の知性、マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキー教授は、米国をして世界最大の「ならずもの国家」と公言してはばからない。

 今年、80歳になるチョムスキー教授は、ベトナム戦争以来の米国の外交政策を痛烈に批判している。 
 いわゆる「9.11」以降、チョムスキーの史実に基づいた言論は海外はもとより米国内でも高い評価を得ている。ロックバンドU2のボーカル、ボノはチュムスキーを飽くなき反抗者と呼んでいる。闘う言語学者、それがノーム・チョムスキーである。 

  イラクとの「対テロ戦争」をめぐる米国の対外政策についてのインタビューにチョムスキーは、次のように明快に答えている。 

  第一に、「対テロ戦争」という言葉を使うにあたっては多大な注意が必要です。そもそもテロに対する戦争というものはあり得ません。

 論理的に不可能なのです。

 しかも、米国は世界最大のテロリスト国家です。

 ブッシュ政権で政策決定に係わっている人々は国際法廷でテロとして批判されてきた人々です。
 米国が拒否権を発動しなければ(このとき英国は棄権しています)、安保理でも同様の批判を受けていたはずの人々なのです。

 これらの人々が「対テロ戦争」を行うなどということはできません。問題外です。

 これらの人々は、25年前にもテロリズムに対する戦争を宣言しています。しかし、私たちはこれらの人々が何をしたかを知っています。

 中米諸国を破壊し、南部アフリカで150万人もの人々を殺害する手助けをしてきたのです。他の例もあげることができます。

 ですから「対テロ戦争」などというものはもともと存在しないのです。

 「テロリズムはどう定義するのか」というインタビューの質問に対し、チョムスキーは次のように答えている。

  テロとは他者が『われわれ(米国)』に対して行う行為であり、『われわれ(米国)』がどんなに残虐なことを他者に行っても、それは『防衛』や『テロ防止』と呼ばれるのである、と。

 以下は、チョムスキーがインタビューに答える形で話した「米国の対テロ戦争」と「米国のイラク攻撃」の全文である。長文ですがぜひ読んで欲しい。

  「対テロ戦争」:チョムスキー・インタビュー 2002年7月3日


◆イクバール・アフマド(思想家)

 チョムスキー教授の友人にイクバール・アフマド氏(Eqbal Ahmad)がいた。ノーム・チョムスキーやE.サイードの盟友でもあるそのイクバール・アフマドは「テロ」にどう言及しているのであろうか?

  アフマドは1999年11月にイスラマバードで病気でなくなっているが、彼は「9.11」が起る3年前の1998年、「テロリズム---彼らの、そして、わたくしたちの」と言う講演のなかで、テロリズムについて非常に示唆に富んだ話をしている。

 当時刊行されたイクバール・アフマド発言集「帝国との対決」(太田出版03-3359-626)、大橋洋一・河野真太郎・大貫隆史共訳)から以下に核心部分を引用する。

 まず第一の特徴的パターン。それはテロリストが入れ替わるということです。昨日のテロリストは今日の英雄であり、昨日の英雄が今日のテロリストになるというふうに。

 つねに流動してやまないイメージの世界において、わたしたちは何がテロリスムで、何がそうではないかを見分けるため、頭のなかをすっきり整理しておかなければなりません。

 さらにもっと重要なこととして、わたしたちは知っておかねばならないのです、何がテロリズムを引き起こす原因となるかについて、そしてテロリズムをいかにして止めさせるかについて。

 テロリズムに対する政府省庁の対応の第二のパターンは、その姿勢がいつもぐらついており、定義を避けてまわっていることです。

 わたしはテロリズムに関する文書、少なくとも20の公式文書を調べました。そのうちどれひとつとして、テロリズムの定義を提供していません。

 それらはすべてが、わたしたちの知性にはたらきかけるというよりは、感情を煽るために、いきりたってテロリズムを説明するだけです。

 代表例を紹介しましょう。

 1984年10月25日(米国の)国務長官のジヨージ・シュルツは・ニューヨーク市のパーク・アヴェニュー・シナゴーグで、テロリズムに関する長い演説をしました。

 それは国務省官報に7ぺージにわたってびっしり印刷されているのですが、そこにテロリズムに関する明白な定義はひとつもありません。その代わりに見出せるのは、つぎのような声明です。

 その一、「テロリズムとは、わたしたちがテロリズムと呼んでいる現代の野蛮行為である」。

 その二はさらにもっとさえています。「テロリズムとは、政治的暴力の一形態である」。

 その三、「テロリズムとは、西洋文明に対する脅威である」。

 その四、「テロリズムとは、西洋の道徳的諸価値に対する恫喝である」。

 こうした声明の効果が感情を煽ることでなくしてなんであろうか、これがまさに典型的な例なのです。

 政府省庁がテロリズムを定義しないのは、定義をすると、分析、把握、そして一貫性を保持するなんらかの規範の遵守などの努力をしなければならなくなるからです。

 以上がテロリズムヘの政府省庁の対応にみられる第二の特徴。

 第三の特徴は、明確な定義をしないまま、政府がグローバルな政策を履行するということです。

 彼らはテロリズムを定義しなくとも、それを、良き秩序への脅威、西洋文明の道徳的価値観への脅威、人類に対する脅威と呼べばいいのです。

 人類だの文明だの秩序だのを持ち出せば、テロリズムの世界規模での撲滅を呼びかけることができます。

 要約すれば、米国なり西洋が使うあらゆる暴力はテロリズムとは言わず、米国なり西洋が被る暴力はすべてテロとなるということである。

 これはチョムスキー教授の言説と共通している。すなわち 「テロとは他者が『われわれ(米国)』に対して行う行為であり、『われわれ(米国)』がどんなに残虐なことを他者に行っても『防衛』や『テロ防止』と呼ばれる」のである。

 ここに今日の米国やイスラエルの対テロ戦争や対大量破壊兵器戦争の大きな課題が集約される。

 米国やイスラエルが自分たちがいくら核兵器や大量破壊兵器をもち、使ってもそれは自由と民主主義を守る正義の戦いとなり、中南米、カリブ諸国にCIAや海兵隊を送り込み他国の政府を転覆したり、要人を殺傷しても、またイスラエルがパレスチナを攻撃しても、けっしてそれはテロとは言わないのである。

 イクバール・アフマドの経歴について イクバール・アフマド(Eqbal Ahmad)著作集について 

◆ウゴ・チャベス(ベネズエラ大統領)

 歯に衣着せず痛烈にブッシュ政権を批判するラテンアメリカの旗手、ベネズエラのウゴ・チャベス大統領は、2006年9月、ニューヨークの国連本部で行った演説のなかで、ノーム・チョムスキー教授の著作を片手に、ブッシュ政権の脅威について次のように明快に語っている。

 私が悪魔と呼んだ紳士である大統領(ブッシュ大統領のこと)は、ここにのぼり(注:国連本部の演壇)、まるで彼が世界を所有しているかのように語りました。全くもって世界の所有者として...

 米国大統領が見渡すいかなる場所にも、彼はたえず過激派(テロリスト)を見ます。

 そして我が友よ――彼は貴方の色を見て、そこに過激派(テロリスト)がいる、と言います。

 ボリビアの大統領閣下のエボ・モラレスも、彼にとって過激派(テロリスト)に見えます。

 帝国主義者らは、至る所に過激派(テロリスト)を見るのです。

 もちろん、我々が過激派(テロリスト)であるなどということはありません。

 世界が目覚め始めている、ということです。

 至る所で目覚めています。そして人々は立ち上がり始めています。

 私の印象では、世界の独裁者は残りの人生を悪夢として過ごすでしょう。

 なぜなら、我々のように米国帝国主義に対抗する全ての者たちや平等や尊重、諸国の主権を叫ぶ者らは立ち上がっているのだから。

※ベネズエラ大統領チャベスの国連における大演説全文(2006年演説全容) ※チャベス大統領 国連演説全容(2005年演説全容) 日刊ベリタ ※ベネズエラ大統領チャベスの国連における大演説全文(2005年演説全容) 


◆佐藤清文(批評家)

 アラビア語で「情熱」や「闘魂」という意味の「ハマス」について報道されるとき、日本のメディアは「イスラム原理主義組織」と報道していますね?

 しかし、アルジャジーラを含め、アラブのメディアでは「パレスチナ抵抗軍」と報道するのが常です。

 実際、そう訳さないのは不正確なのです。ニュースは一つの報道だけでなく、多様な見方を意識していないとといけないのですが、日本の報道機関がアメリカ向きだというのはこういうところからもわかります。

 こういうところから直していかないと、本当の国際的な眼は養われませんね。

注)ハマースハマース、正式名称はイスラーム抵抗運動(Harakat al-Muq?wama al-Islamya)といい、各単語のアラビア文字の頭文字を取って(ハマース、アラビア語で「熱情」という意味)と通称される。 Wikipedia

2008年12月28日日曜日

横浜事件再審決定と大島隆明裁判長   青山貞一

 今日(2008年12月28日)のテレビ朝日サンデープロジェクト後半の特番の事例、すなわち布川事件、横浜事件のうち、横浜事件に対する度重なる再審請求が却下されるなか、今年10月31日、第四次再審をが定された。決定したのは、横浜地裁の大島隆明裁判長であった。

 大島隆明裁判長という名前を聞いて、すぐにぴーんと来た。 横浜地方裁判所の大島裁判長は、昨年春から夏にかけ、すんでのところで冤罪となりかかった私の大学の中国からの留学生(大学院生)、K君事件で初審無罪判決を出したあの大島裁判長だったからだ。 

横浜地検、東京高検が控訴を断念したあのK君事件を担当した裁判長である。

 大島隆明裁判官は、横浜地方裁判所第二刑事部の裁判官である。

私は都合8回、横浜地裁で開かれたK君の公判すべてを傍聴していましたが、あの大島裁判長ならまったく開かずの扉だった横浜事件の再審請求を決める、しかも裁判所自身が証拠を焼却処分したことへの反省を含め決めるひとであると率直に感じた。

 K君はその後、私が修士論文の指導を行いこの春、無事卒業、就職しています。一旦、検察側が起訴し、公判に持ち込んだ刑事事件を初審敗訴で控訴しない事例は、5000件に1件などきわめて異例であることはいうまでもありませんが、その背後には、大島さんのようなまっとうな判事の存在があったことは見過ごせない。

 本件に関しては、以下のブログもある。
◆横浜事件再審開始決定/戦い続けた22年、裁判官の勇気に敬意- 

また大島裁判長の判断に関しては、以下のブログもある。
◆司法(裁判所)の正義 

以下はWikipediaによる横浜事件の概要説明。

■横浜事件

 第二次世界大戦中の1942-1945年におきた言論弾圧事件のことである。
 1942年、雑誌『改造』に掲載された論文が問題になり、執筆者が治安維持法違反で検挙された。これを発端に編集者、新聞記者ら約60人が神奈川県警察特別高等警察課によって逮捕された。横浜地裁は敗戦から治安維持法廃止までの期間に約30人に有罪判決を下し、4人の獄死者を出した。

 戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求を繰り返し、2005年に再審が開始されることになったが、最終的に罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴が確定した(後述)。なお、別の遺族が2002年3月に申し立てた第4次再審請求について、2008年10月31日、開始される事が決定した。

以下は、K君事件の関連ブログ

◆身代わり教唆、無罪判決~事実の証明がない:横浜地裁

◆青山貞一:神奈川県警+横浜地検共作による留学生准冤罪事件①

◆青山貞一:神奈川県警+横浜地検共作による留学生准冤罪事件②

◆青山貞一:冤罪を生み出す構造(9) 中国人留学生に無罪判決

2008年12月14日日曜日

トヨタ、日本で大量解雇、米国で解雇なしの奇っ怪!?  青山貞一

 トヨタは、金融危機以降の減益でも、実に6000億円もの黒字を見込んでいる。

 他方、来年3月までに期間従業員を約6000人(10月末現在)から3000人に半減する方針という。さらに来年3月までに7800人を削減する計画もあるという。

 減益とはいえ、6000億円もの黒字を見込んでいるのに数1000人規模の雇用削減はいかがなものであろうか?

 そんななか、12月13日、米国のCNNが慣習的に解雇による人員削減を行わないアメリカの企業について報道していた。

 そのなかに、北米トヨタの名前があった。北米トヨタでは従業員は解雇せず、生産調整のために余剰になった人員には職業訓練プログラムを受けていてもらうとのことだった。

 アメリカで解雇しないで、日本で解雇するというのは、「生き残るため」というトヨタ経営陣の道理が通らない。

 おまけに、トヨタには15兆円も余剰金があるという。増益していたのに 納税額減をえたらしい。

 していることがことごとくおかしい。明らかにおかしい。まして今回の日本での首切りは明らか道理が通っていない。

 トヨタは説明責任を果たすべきだ!